デーツコラム 歴史篇(古代文明)
紀元前からの贈り物、デーツ
デーツ
デーツは世界で最も古くから栽培されている植物の一つ
デーツ(=果実)が実る樹木であるナツメヤシは、世界で最も古くから栽培されている植物の一つです。あまりにも古くから栽培されているため、本来の分布がはっきりしていませんが、原産はアラビア半島東部のペルシャ湾岸地域と考えられ、紀元前5000年までには既に栽培が始まっていたようです。日本でいえば縄文時代のことです。
その後、長い時間をかけて、アラビア湾岸から東西に向かって砂漠沿いに広がっていき、西はエジプト、ナイル沿岸地域、サハラ砂漠へと伝わり、サハラでは紀元前1000年には栽培が始まっています。一方、東へと向かったナツメヤシは、紀元前2600~1900年にはインド北西部のタール砂漠へ到達していたようです。
世界最古の文明であるメソポタミア文明、そしてエジプト文明、インダス文明の各地にナツメヤシが栽培されていた形跡が残っています。実を食べるだけでなく、葉も幹も実にさまざまな使いみちがあり、デーツは当時の人々にとって欠かせない食料でした。
古代文明とナツメヤシ(デーツ)の栽培
古代メソポタミア文明は、シュメール文明(前4000年紀後半~前3000年紀)に始まり、最古の文字やビールが登場するなど、その社会は現代社会の原点ともいえるほど進んでいました。当時は、大麦やエンメル麦からビールが盛んに作られ、発酵しやすくするためにデーツや蜂蜜を加えていたそうです。
シュメールは、ティグリス川とユーフラテス川がペルシャ湾にそそぐ河口近くの内陸部で、メソポタミアで最も早くから人々が定住した場所です。ここは、河川が地上より高いところを流れる天井川で、洪水が頻繁に起こる塩気の多い湿地帯でした。文明が築かれる以前には、人々は川沿いの台地に細々と集落を作り、塩害に強いナツメヤシを栽培しました。
その後、土地の灌漑を行い、星の観測によって農事暦を作り、大麦などの栽培も始まり、進んだ文明を持つ都市国家が生まれます。穀物が不作の年も、栄養価の高いデーツがあったから、人々は飢えをしのぐことができたのでしょう。シュメールでは「農民の木」ともいわれ、デーツから酒や蜜が作られ、旅の携行食としても大切にされました。
古代文明に見られるナツメヤシ(デーツ)の形跡
バビロン第一王朝のハンムラビ王(前18世紀頃)の発布したハンムラビ法典にもナツメヤシの果樹に関する条文がいくつかみられます。古代メソポタミアの美術にも、ナツメヤシがさまざまに登場します。豊饒の女神「イナンナの像」は手にナツメヤシの房を握っていますし、新アッシリア帝国時代(前1000頃~609)の王宮の壁面を飾る精霊像は、聖樹のナツメヤシの木に受粉している場面が描かれています。
古代人から愛され、文明の黎明期よりさまざまに人々の心身と暮らしを支えてきたデーツ。
その歴史は、さまざまな形で遺され、受け継がれています。
- ・小林登志子「シュメル-人類最古の文明」(中央新書)
- ・小林登志子「五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語」(新潮社)
- ・ロイ・バレル「絵と物語でたどる古代史①歴史のはじまり」(晶文社)
- ・高平鳴海ほか「図解 食の歴史」(新紀元社)