今、注目の広島お好み焼を東京でつくろう!
「G7各国をイメージしたお好み焼」教室を開催
ニュースリリース
2023年06月09日
ところ:オタフク東京本部ビル おこのみスタジオ(東京都江東区木場5丁目6-11)
参加者:定員12名(*対象18歳以上 *参加費1,100円)
申 込:2023年6月11日〆切 *参加者は抽選により決定させていただきます
講 師:東京お好み焼推進課(当社社員)
■戦後復興と切り離せない歴史
広島のお好み焼のルーツの一つは「一銭洋食」だと言われています。小麦粉を水で溶いて薄く焼き、その上にネギなどをのせ半分に折りウスターソースをかけたもので、子どもに人気のおやつでした。
それが、戦後の食糧難には、一銭洋食にキャベツやもやしなどを入れ、「お好み焼」へと変化します。広島市内中心部の焼け野原にできた屋台やバラックで、お好み焼は復興に奮闘する人々のお腹と心を満たしました。必要に迫られた人々のアイデアから誕生したのです。
1955年ごろには、郊外の住宅地にもお好み焼店が見られるようになります。自宅の土間を改装して主婦などが営む店は、生活を支えるだけでなく、地域のコミュニティの場になっていきました。また、このころのお好み焼には、そばや卵が入るようになります。今でもお好み焼のメニューとして「肉玉そば」と呼ぶのは、これらが追加材料だった名残でしょう。また、高価な卵は家から持参したり、お皿を持って店に行き持って帰って家で食べたりといった独自の文化もうまれました。
このように、お好み焼は時代に合わせて少しずつ変化しながら、広島の人々の生活に根づいていきました。
広島お好み焼は、郷土料理として広島出身者が県外で、また県外出身者が仕事や学校などにより広島で生活した後に口コミで広め、観光客にはご当地料理として楽しまれています。1975年に広島東洋カープがセ・リーグ初優勝を果たした際には、お祝いムードの広島市内から喜ぶ市民の姿とお好み焼がテレビ中継され、先般のG7広島サミットと同じように、全国的に注目されたこともありました
現在、広島県にはお好み焼店が1,263件※1あります。(日本で2番目に多く、最も多いのは大阪府の1,756件)人口※210,000人あたりでは、約4.5件と広島県は最も多く、「お好み焼県」と言っても過言ではありません。
※1 焼そば・たこ焼店を含む。総務省・経済産業省令和3年の経済センサス活動調査より
※2 総務省統計局 人口推計(令和3年10月1日現在)より
オタフク「お好み焼ソース」が誕生したのは1952年のことです。
当社は1922年に醤油類の卸と酒の小売業として創業し、1938年から酢を製造します。戦後、様々なことが洋風化し、食も同様になるだろうという知人からのアドバイスもあり、ウスターソースをつくり始めました。ところが後発メーカーだったため思うようには売れず、商品を持って屋台などの飲食店を直接訪ねるようになりました。そこで出会ったのがお好み焼です。
一銭洋食の名残でお好み焼にもウスターソースを使い、ドーム状のお好み焼から流れ落ち、鉄板の上で焦げついたり、辛くなったりするので、店主らはケチャップを混ぜるなど自分たちで工夫をしていました。その話を聞いたことをきっかけに「お好み焼にあうソース」を目指して、約2年をかけ完成させました。
お好み焼が復興とともに、そして平和とともに広島の暮らしに根づいたように、当社もお好み焼とともに歩んできました。