昭和30年代の思い出エッセイ募集
入選作品紹介
右手の卵
大信 容子(広島県)
 昭和三十五年頃、仁保町にあった東洋工業の社宅がすべて立ち退きとなった時の話です。少しずつ取り壊しが進み半分近くがガレキになっていた。夏休み中で私の家も新築中だった。その頃は大工さんに昼食のお茶等を出す為母親は留守、同じ事情の幼馴染みと一緒に「お好み屋さん」に行く事になった。私小学三年生と幼稚園の妹悦ちゃん、幼馴染みは四年生のみよちゃんと一年生のきよし君、当時お好み焼きは二十円でうどん入りお肉はなくて家から卵を持っていくのがきまりだった。バスの終点の前にあったお店まで子供の足で十五分位だった。私とみよちゃんはおしゃべりに無中、道は壁のカケラやくぎがころがり土ぼこりの中を歩いてお店まで半分位の所で妹がバッタンところんでしまった。もちろん持っていた卵はこわれてしまい、仕方なく又家にもどって卵を持って歩きだした。私はみよちゃんとおしゃべりの続きをしていた。そしてふたたび同じ所へさしかかった時妹がバッタンとこけてしまった。私は今度ばかりは、しまった、何故妹の手を引いてやらなかったのかと、おしゃべりに無中だった事を悔いた。「えっちゃん」と思わず叫ぶと、妹が少し頭を上げて「おねえちゃん」とうめいた。と、みよちゃんが「卵が割れとらんよー」と言った。妹は必死で卵をにぎった右手だけを高くつき上げていた。私も皆なも「えかったね-」「えかったねー」と繰り返し、立ち上がった妹もうれしそうに頭をコクリとした。その後皆なでお好みを食べたのだろうが全く覚えていない。
 あれから六十年過ぎた今、土ぼこりの道と砂にまみれた妹の顔、その右手の卵の記憶だけがしっかり残っている。
一覧
お好み焼きが紡いだ絆館 高司(埼玉県)
祖母のお好み焼き原山 摩耶(徳島県)
オリンピックのお好み焼井山 孝治(広島県)
お好み焼き 嫌いなのか?會澤 公平(広島県)
家庭の味、お店の味。心に刻まれた幸せな風景。峯 綾美(広島県)
おばあちゃんのてっぱんお好み焼きM.N(兵庫県)
貧しかった頃のお好み焼き古田 ミホコ(広島県)
はじめて食べたお好み焼きの思い出呉の秀ちゃん(広島県)
「8マン危機一髪!」井尻 哲(広島県)
父ちゃんの「いえおこ」亀井 貴司(広島県)
「カタカタ」と生玉子の音色(ねいろ)世良 元昭(広島県)
右手の卵大信 容子(広島県)
私とお好み焼き皆川みどり(広島市)
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