昭和30年代の思い出エッセイ募集
入選作品紹介
はじめて食べたお好み焼きの思い出
呉の秀ちゃん(広島県)
 かれこれ半世紀も前の私が小学低学年の頃の事です。
 10人家族で、その中でも住み込みの20歳代のお兄さんがおられ、一緒に生活をしていました。
 お兄さんとは一回り以上の歳の差があり、他人でもあったのに私にとても優しく、面倒見の良い人で、大好きな方でした。
 その方の名前は松下さんでしたが、いつもお兄ちゃんと呼んでました。
 日曜日になるとたっぷりと遊んでもらえると私は一方的に望んでたと思います。日曜日に朝早くから出掛けられる事も多くて、姿がないととても残念だった記憶が残っています。
 ずっと住み込みであったため、日曜は自分の好きな事に費やして良い事になっていたのだと思います。そのためか、日曜日は私たち家族と一緒に食事を取ってなかった。

 そんな日曜日でも松下お兄さんと1日中付きまとい遊んでもらった日がありとても楽しい休日でした。
確か夕方4時頃だったと思う。近所ののれんの掛かったお店に連れて行ってもらいました。
私にとっては初外食でした。鉄板の向かい側におばさんが焼いてくださる光景を見るのも新鮮で、徐々に出来上がっていく様子を食い入るように眺めていました。
 出来上がり、松下お兄さんから熱いからゆっくりと食べなさいとアドバイスをもらい食べると今までに食べた事のない食感&おいしさで感動しました。これが人生初のお好み焼きでした。子供にしてみれば大量でありましたが、おいしいのでペロリと完食していました。
 店を出て松下お兄さんが、お好み焼きを食べた事を祖母・母には言うたらいけないと言われ、私だけ先に帰宅しました。
 家に帰って夕食の時間になろうともあれだけたっぷりと食べたのだから何も食べることが出来ない。まして松下お兄さんとの約束を守り抜かないといけないと思い、食べて帰った事を話せなかった。1日中遊んで帰りおなかが空いてないと言うし、何も口にしないから流石に、祖母・母はどこか悪いのではないかと心配をしていました。
 私は日常小食であったが、たらふく食べたあの時のお好み焼きが忘れる事が出来ない。今でも一番の好物です。
 大人になってもお好み焼きののれんを見ると条件反射なのか食べたくなるし、焼いてもらっている間はなぜかいつもあの時の松下お兄さんにごちそうになった時にタイムスリップして笑みがこぼれているように思います。
 それと同時に、子供だったから多分松下お兄さんに食べさせてもらったお好み焼きのお礼を言えてないと思いますので、「松下お兄ちゃん、ごちそう様でした」と言いたいです。願いが叶うならば、再開して、お好み焼きを食べたいです。今度は私がごちそうしたいです。
 松下お兄ちゃん、お元気ですか? 会いたいです!!
一覧
お好み焼きが紡いだ絆館 高司(埼玉県)
祖母のお好み焼き原山 摩耶(徳島県)
オリンピックのお好み焼井山 孝治(広島県)
お好み焼き 嫌いなのか?會澤 公平(広島県)
家庭の味、お店の味。心に刻まれた幸せな風景。峯 綾美(広島県)
おばあちゃんのてっぱんお好み焼きM.N(兵庫県)
貧しかった頃のお好み焼き古田 ミホコ(広島県)
はじめて食べたお好み焼きの思い出呉の秀ちゃん(広島県)
「8マン危機一髪!」井尻 哲(広島県)
父ちゃんの「いえおこ」亀井 貴司(広島県)
「カタカタ」と生玉子の音色(ねいろ)世良 元昭(広島県)
右手の卵大信 容子(広島県)
私とお好み焼き皆川みどり(広島市)
お問合せ先
RCCラジオ
TEL:082-222-1121(平日9:30~17:30) E-mail:okonomi@rcc.net
Copyright 2020 昭和30年代の思い出エッセイ募集